今井一志さん

今回のインタビューは今井一志さん。

今井さんは家業の贈答品販売店を受け継ぎ、
自身でも地域起こしを専門業務とする会社を立ち上げるなど、
日々精力的に活動されています。

ただ、今回スポットを当てるのは会社のことではなく、
出会った当初から情熱を傾けていた「アニメ」についてです。

最初からアニメ好きを公言されていて、
アニメのイベントも主催され、今や会社の仕事にもアニメが関わってきています。

 ・どうやってアニメに興味を持ったのか
 ・アニメ業界を経て家業を継いだのはなぜか
 ・これからのアニメとどう関わり、仕事と結びつけていくのか

今井さんと私の近所にある料亭にてインタビューしてきました。

今井一志さん

プロフィール

新潟県阿賀野市出身、在住。
東京の大学卒業後、そのまま東京で就職。
アニメ制作会社を経て、2010年に地元にUターンし、
家業の贈り物専門店ハリカ水原店・五泉店にて働く。
2013年に地域起こしを専門業務とする株式会社WIN-WINを設立。
阿賀野市の特産品やイベントを紹介するWebサイトごずっちょねっとの運営を行う。
地元企業と連携して商品開発を行い、地域の魅力を全国に発信している。
また同年10月3日、ハリカ水原店・五泉店代表取締役であった父を急性心不全で突然失う。
同月、ハリカ水原店・五泉店の代表取締役社長に就任する。
趣味はアニメ鑑賞。今後の夢は「アニメでまちおこし」。
 ごずっちょねっと Facebookページ
 新潟県をアニメ・マンガで大いに盛り上げる為の団 Facebookページ

阿賀野市ふるさと割

1本のアニメとの出会いから、年間2,000本を観るまでに

一番最初に見たアニメは、中学2年の時に偶然テレビで観た機動戦艦ナデシコ
連続アニメの中盤の回を放送していた時です。

エヴァンゲリオンと同時期で、
深夜に放送されていた番組を録画ではなくリアルタイムで観ました。

SFアニメらしく戦闘シーンももちろんあって楽しめるのですが、
何よりもストーリーが面白くて。
一気にアニメの世界に引き込まれていきました。

そこからアニメ専門誌を購読するようになったり、
アニメイトなどのアニメ専門店に足を運ぶようになりました。

角川書店のニュータイプ、学研のアニメディア、徳間書店のアニメージュ、
というアニメ情報三大紙を読むようになり、最終的にニュータイプを購読してましたね。

アニメ専門店に行くと活発な交流が行われているというイメージがありますが、
意外とそこでは他人との交流はなかったです。

僕らの時代は男子はみんなゲームをやってましたけど、
自分もファイナルファンタジーやドラゴンクエストなど、
有名なゲームは一通りプレーしました。

漫画もドラゴンボールはじめ、有名な作品は読んでましたけど、
それよりアニメで、日常の一部として溶け込んでました。

アニメは座っていれば観ることができるので、
ゲームや漫画と違って自分で手を動かす必要がありません。
そのためか長時間見続けることもできました。
6時間くらい通して観たこともあります。

映画も好きなんですけど、2時間以上とボリュームがあって、
すごいエネルギーを注ぎ込んで作っているから、1本観るとかなり疲れました。
それが自分には合わなかった。

アニメは1本の時間が30〜60分くらい、
割と分散されてるし負荷が高くありません。

だから長時間見続けることができて、
大学生の時には空いた時間は全てアニメを観るような生活で、
年間2000本くらい観ていました。

今でこそ地元に戻っていろいろ活動していますが、
当時は地元にこのままいたら腐るなと思って、
高校を卒業したら東京に出ることしか考えていませんでした。

東京でしか見られないアニメの情報があった、というのも理由の1つです。
アニメ上京と言うんですけども。

今は地方にいてもネットで手軽にアニメを観ることができますが、
当時はそんな環境がありませんでした。

そのため、嘘のようですがアニメのために故郷を離れ、
高校卒業後は東京の大学に進学しました。

ちなみに、後に就くことになるアニメ関連の仕事は
高校生の頃にはもう選択肢になっていたように記憶しています。

大学時代に映画制作に関わり、念願のアニメ制作の道へ

念願叶って東京の大学に進学し、思う存分アニメに触れる生活に浸るわけですが、
実は大学ではアニメ関連のサークルに入ったわけではないんです。

大学生らしいテニスサークルも入っていたのですが、
ずっと関わっていたのはアニメとは無縁の映画研究会サークル。

映画研究会という名前がついているにもかかわらず、
映画好きな人が誰もいなかったんですよ(笑)

映画への興味は一般の人と変わらないくらいで、
その代わりにゲーム好き、アニメ好き、マンガ好き、
洋画好き、音楽好き、ダンス好きといった人たちが集まっていました。

多様な個性が集まっていたサークルだったので、
アニメ好きなことも一つの個性として認められたように感じます。

アニメやゲームなどのサブカルチャーはある程度リンクしてるので、
アニメの話しをしても「それってゲーム原作だよね」とか、
「ダンスの音楽にもあるよね」といったように話がつながり、
それが居心地よく長続きしたの理由かもしれません。

大学4年間はサークル内でアニメを観ない人に魅力を語り続け、
自分がおすすめしたアニメを面白いと言ってくれる人も出てきました。

大学内では映画を1本も作っていなかったのですが、
大学以外の場所で映画制作には関わっていました。
無限のリヴァイアスという作品で、ガンダムを作った富野監督も関わっています。

この作品のファンクラブに入っていて、上京したばかりの頃に
東京の公民館で上映会・オフ会あるから応募して参加したんです。

そしたら自分以外はみんな顔見知り同士で・・・
かなりアウェイ感がありました。

そんな空気の中、無限のリヴァイアスのDVDを観て、
終わってから感想を言い合って、そのまま打ち上げに。

そのオフ会には主人公の声優を務められていた
白鳥哲さんという有名な方が来ていました。
自分が行った時は3回目の開催で、初回は監督が来ていたそうです。

その白鳥さんと打ち上げで近くの席になったので、
大学の映画サークルの話をしたら
「映画作ってるんだけど一緒にやらない?」
と思わぬお誘いをいただきました。

白鳥さんは元々俳優で映画出身、さらにプロデューサーもされる方。
そんな方の元で、戦隊モノの映画制作のディレクターを任されることになりました。

映画制作の現場は演劇舞台役者の方をはじめ、
映画でご飯を食べていきたい人たちばかり。
その方々と同じチームになって映画を作っていきました。

ここで一通り仕事の基礎を教えていただきました。
例えば、各シーンごとの登場人物や
必要な衣装・小道具を一覧にした香盤表の作り方とか。

初めての経験ばかりでしたが、
ちゃんと完成して上映までたどり着くことができました。
これが大きな実績となって、後の就職活動につながっていきます。

少し話が逸れますが、この頃は映画制作に夢中になり過ぎて、
次第に大学のゼミに参加しなくなっていきました。

そんな中で迎えた卒業式の日、
思いがけずゼミの担当教員である野村先生に打ち上げにお誘いいただき、
「お前は、私の生徒!」と言われたのを未だに覚えています。

その言葉がなかったら大学生活にわだかまりを残していたと思います。

話を戻して就職活動の話に戻りますが、自分が就職活動した年は、
ちょうど就職氷河期を抜けた頃で就職しやすかった時代でした。
選択肢はたくさんあったのに、昔から興味のあったアニメ会社だけ受けました。

有名無名を問わずアニメ関連の会社だけ試験を受けて、
縁があったアニメ制作会社のufotableに就職しました。

ufotableは当時はまだそれほど知られていない会社でしたが、
今は新進気鋭の会社の1つにまで成長しています。
会社は高円寺にあって、ファンと交流するカフェを運営したり、
徳島でマチ★アソビというイベントを主催したりもしています。

ユニークな会社で、まず面接は私服だったんです。
オタクは身なりがしっかりしてないから仕事ができない、
という理由で身だしなみをチェックしていたそうです。

幸いにも自分はデート行けるようなしっかりした服装で行ったので大丈夫でした。

その他にも、プロと一緒になって映画を作ったという実績が大きくて、
それが決め手となって採用されたと入社してから聞きました。

こうして振り返ると、
オフ会の打ち上げで白鳥さんに誘われたのが
本当に大きなターニングポイントでしたね。

心の声に従って東京から新潟へUターン

大学卒業後にすぐUターンという選択はせず、東京に残りました。
東京には大学時代を含めて約7年いたことになります。

大学卒業後は先ほど話したアニメ制作会社に1年、次に半年ほど探偵をやり、
残り1年はビジネススクールに行きながら、
政府系シンクタンクでアルバイトをしていました。

そのバイトは学生時代もやっていたもので、
世襲制で代々映画サークルの人たちで役割分担していました。

仕事を辞めてビジネススクールに通い始めた時、
復帰したい旨を伝えたら採用してもらえました。

バイトでは資料作りがすごく勉強になりました。
国会図書館で必要な資料を探してくるとか、
役所向けの資料を作ったりとか。

今地域おこし専門の会社で行政と関わることが多く、
この時のバイト経験が参考になってますね。
もしやっていなかったらごずっちょねっとは存在しなかったかもしれません。

高校時代から携わりたかったアニメ制作現場から離れてしまったのは、
給料が少なくて生活するのが大変だったからです。

労働時間が長かったですけど仕事自体は満足していました。
休みは日曜だけで、終電過ぎでも働くので会社の近くに住んで自転車通勤。
基本は12時出勤で24時退社ですけど、
日付をまたぐのは当たり前の生活でした。

長時間労働はある程度覚悟して入ったのですが、
給料が少なくて日々の生活で手いっぱい。

弟と一緒に暮らして家賃を抑えたものの、
食費等の生活費で毎月の給料が消えていきました。

これではとても生活できないと思い、
止む無くアニメ制作会社を離れることにしました。

アニメ制作の現場は離れてしまいましたが、
会社にいた時はすごく楽しくて、やりたかったことが実現できてました。
映画制作に関わっていて、他の部署のスタッフともご飯行ったり、
毎日が文化祭のようで楽しかったですね。

中でも一番嬉しかったのは、テレビ画面のテロップに映ったことです。
そのためだけに作ってると言っても過言ではないくらい。

自分だけじゃなく、アニメ制作に関わる人たちの多くがそう言っていて、
60歳くらいの大ベテランの人も、美術監督も同じことを言ってました。

初めて画面に出たときは感動して泣きそうでした。

元々テロップはチェックしていて、
アニメを観る時は原作者じゃなくて脚本家と監督を見ています。
あとプロデューサーと制作会社も。

こうやって日々チェックしていたテロップに
自分の名前が映った時の嬉しさは格別で、
本当にこの仕事の醍醐味だと思います。

こうしていくつかの仕事を経験した後、
地元へ帰りたいと思ったきっかけは勘です。
自分以外のもう1人の自分がいて、その人から帰れと言われたから。

白鳥さんの隣に行って話した時も、
「映画に関わってることを白鳥さんに言え」
という声が聞こえたから言っただけです。

その声の源は自分の観察力、分析力、洞察力であり、
つまり状況判断によるものです。

地元に暮らす親も歳だし、
自営業の経営が良くないし、
実家から帰ってきてほしいという手紙が届いたし、
様々な理由が重なって、地元に帰るという選択を無意識に判断して答えが出た感じです。

勘に従って自分で地元に帰ると決めたんですけど、
それでも新潟に帰る高速バスの中では泣いてしまいました。
偶然にも在籍していた会社の前を通ったこともあって感極まって。

こうして名残惜しくも東京を離れて、地元の阿賀野市に戻ることになりました。

地元に戻って見出した「アニメでまちおこし」

読売
【写真】読売新聞掲載時の記事

地元の阿賀野市に戻ってから苦労したことは、
阿賀野ではやりたいことがあっても
多くの人たちのコンセンサス(合意)を取らないといけないこと。

東京は人がいっぱいいるので、
やりたいことあればすぐに人が集まって何でもできますが、
人口が少ない阿賀野では周りにいる人のコンセンサスを取ることが大事です、

正直イライラしたこともありますが、
様々な経験を重ねたので、今ではそれが難しくも面白いと思うようになりました。

それから、地元に帰ったからにはまちのために何かしようと思っていました。
このままでは地元は衰退していくことは目に見えていたので。

自分には何ができるんだろうと自問自答を続けました。
自分が儲ければ雇用も生むし経済効果も生む。
でもそれは必ずしも自分じゃないくてもいい、
やるからには自分にしかできないことを。

そうして考えた末にたどり着いて出した答えが「アニメでまちおこし」でした。

構想は地元に帰った頃にすでにあり、
その第一歩としてごずっちょねっとを立ち上げ、
その後にLINEスタンプの販売と、アニメまちおこしの一歩を踏み出していきました。

幅広い世代・興味の人と知り合い、人間関係が広がる

阿賀野市に帰ってきた時、地元の友人とは疎遠になっていたので、
新しい人間関係を求めて外へ出るようになりました。

そのうちの一つが新潟×朝活
新潟帰ってきた直後の2011年春頃に参加しました。
mixiで偶然見つけて面白そうだなと。

新潟にも様々な面白い人がいることがわかり、
新潟生活の第一歩となりました。

その後に地元の商工会をはじめ、
父が亡くなってから様々な会に足を運ぶようになりました。

商工会の方々は最初こそ非協力的だでしたが、
実績を積むことで最近は気にしてくれるようになり、
風向きが変わってきました。

今は仕事も順調なので、今後は阿賀野市外へも活動の幅を広げ、
新しい人間関係を広げていくつもりです。

それと、一時期「アニメを語る会」という
好きなアニメを語るイベントを主催していたので、
今後はまた開催してみようと思っています。

ジャンルや作品を決めて話すのもやってみたいのですが、
人口少ないので自分の好きなものを紹介するというスタイルでないと続けられません。
ですので、少しずつやっていきたいです。

いつかアニメの原作を作る

最近は地域起こしを専門とする会社で、
地元阿賀野市の特産品・名産品を紹介するWebサイトごずっちょねっとを立ち上げ、
阿賀野市のイメージキャラクターであるごずっちょや、
新潟市PRサポートキャラクターの花野古町と笹団五郎のLINEスタンプを販売しています。
アニメでまちおこしの第一歩を踏み出しました。

 花野古町と笹団五郎、LINEスタンプに:朝日新聞デジタル
 

次の方針はまだ未定なのですが、
将来的にはにいがた総おどりがたふぇすを合わせたようなイベントをやってみたいです。

2つのイベントを薩長同盟のように一つにして、
さらに阿賀野市をも巻き込んで、
薩長土の三国同盟のようにイベントを波及させていきたいです。

先ほど紹介した徳島の「マチ★アソビ」がイメージに近いですね。

マチ★アソビのイベントは街全体がイベントで盛り上がっていて、
空港に着いた時からもうイベントが始まっている。
そして地元企業が多く参加しているので、経済効果も大きいです。

新潟も頑張っていますが、いまいちうまくいかないのは
イベント自体が少ないことと、版権を持っている会社が東京にあるから。

ドラマや映画の舞台が東京なのはロケ代がかからないからで、
マチ★アソビが成功したのは自分たちでアニメを作ってるからです。

そのアニメを地元に持って帰り、自分の作ったアニメでイベントを主催し、
地元企業に協力してもらい、地元経済の起爆剤になったわけです。

新潟はアニメのまちと言われてるけどそういった起爆剤となるものがない。

理想としてはアニメの原作を自分が作って、
最終的にはにいがた総おどりとがたふぇすを合わせたようなものをやりたいです。

実はもうストーリーは頭の中に描いていて、
近未来の阿賀野市を舞台とした社会派アニメを考えています。

人口が減少して経済が縮小していく日本の未来、
想定される未来の世界観からその時代の生活を想像して、
作品を作ってみたいですね。

「アニメでまちおこし」という目的の先にあるものは、
「文化を作ること」です。
自分は新潟に本当のアニメ文化を作りたいんです。

先ほどから紹介しているにいがた総おどりは
秋田出身の方が中心となって2002年に初開催され、
たった10年余りで40万人が訪れる一大イベントになりました。

生まれた場所や育った場所に関係なく文化は作れるもの、
にいがた総おどりの躍進はそのことを証明しています。

大好きなアニメで地元に貢献し、自分も楽しい日々を送る、
それを現実にするためにこれからも突き抜けた存在でありたいです。

お知らせ

 ・Facebookページにて、新潟のアニメ情報を紹介しています。
  →新潟県をアニメ・マンガで大いに盛り上げる為の団

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  割引価格にて購入可能です。
  2016年2月いっぱいで終了予定ですので、お早めにお買い求め下さい。
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