200. 生き方

歌、出会い、始まりのフライデー

こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

世間ではプレミアムフライデーが賑わっているようですが、
ここ新潟では全くと言っていいほどその雰囲気がありません。

いつも通りの週末を迎えています。
自分もいつもと変わらない1日を過ごして帰ってきました。

みなさんの周りはどうだったでしょうか?

フライデー(金曜日)という単語を聞いて、
かつて新潟駅前で歌っていたのが毎週金曜日だったことを思い出しました。

時々ブログ内で触れたこともありましたが、
「駅前で歌ってました」くらいしか書いていなかったので、
このタイミングでその時の様子を書いてみようと思います。

週末夜に書いているので長くなります。

声を出すことができなかった初めての路上ライブ

ちょうど就職活動を始める大学3年の冬から
新潟駅前で当時の大学の同級生と2人で歌い始めました。

半年ほど大学の食堂前の広場で練習を続け、
通り過ぎていく人たちに聴いてもらうという経験をし、
これなら駅前でも歌えるはずという自信を持って行きました。

しかし、外の世界は全く違った。

当たり前ですが大学内とは人の数が違います。
地方都市とはいえ、新潟市の人口は80万人。

ちょうど帰宅時間に当たる19時頃から歌い始めていたので、
駅前は多くの人が押し寄せてきていました。

そんな人の多さと流れに圧倒され、
ギターを出して歌う準備をしたのはいいものの、
不安と恐怖でなかなか歌い始めることができません。

時間にして30分くらいだったと思います。
ただ、その時間はとても長く感じられました。

通り過ぎていく人がみんなこちらを見ているような気がして、
そのプレッシャーで押しつぶされそうになりました。

しかし、このままではいけないと意を決して立ち上がり、
思い切って歌い始めました。

どの曲を歌ったのか、どうやって歌ったのか、もう全く覚えていません。

この時の自分はとにかく歌うことに懸命で、
何も周りを見る余裕がありませんでした。

歌い終わってまだ高鳴っている鼓動を感じつつ、
改めて道行く人たちを見てみると、
ほとんどの人がこちらを見ていないことに気づきました。

駅に来る人たちにとって駅は通過点であり、
そこに途中にあるものは日常風景に過ぎません。

多少普段と違うものがあったり、人がいたりしても、
それは風景の一部として認識されます。

自分たちの歌もおそらくそんな感じで、
存在感のある音ではなく、BGMの一部として流されていたのだと思います。

そのことに気づいた時、
なぜ歌う前はあんなに不安になっていたのかと思い、
先ほどの不安はもう消え去っていました。

この瞬間から、新潟駅で歌う事が
自分にとってのルーティンになっていきました。

世界が広がる数々の出会い

初回の路上ライブを無事に終えた自分たちは、
毎週金曜日の夜に新潟駅前で歌うことに決めました。

多くの人に認知してもらうためには、
毎週同じ時間と場所で歌うのがいいと考えたのが1つ。

もう1つ、自分の所属していた研究室が、
会社員のように月〜金は大学にいないといけないシステムだったので、
物理的に週末しか無理という理由もありました。

駅前で歌い始めてから3か月くらい経つと、
時々足を止めて聞いてくれる人が現れ始めました。

半年経つ頃には定期的に足を運んでくれる、
いわゆる常連と呼ばれる人たちができました。

少しずつ自分たちが認知されていってることを感じると同時に、
今までになかった多様な出会いに興奮していました。

それまで学校や家族親戚、近所といった狭い世界で生きてきた自分にとって、
そこで出会う人たちは全く別の世界の住人でした。

その人たちの話を聞いていると、
いかに自分が狭い世界で生きてきて、
狭い考え方しかしていなかったのか、心底思い知らされました。

特に常連となってくれた同世代の人たちとは、
歌い終わってからも残って話すこともあり、
より親交を深めていきました。
(今でも一緒に飲みに行く人もいます)

歌より話す方が楽しくなる

路上で歌い始めて1年以上が経ち、
自分が会社員となってからも路上で歌うことは続けていました。

月〜木は遅くまで仕事をしていたとしても、
金曜はすぐに帰って歌う準備をし、
週末の新潟駅前へと繰り出していました。

個人的に勝手にプレミアムフライデーを実行していた感じです。

この頃になると、ありがたいことに常連の方も増え、
近くで歌う他の歌い手とのネットワークも生まれ、
活動が軌道に乗ってきていました。

そして、この時に自分の中に起こっていた変化は、
歌うことより話してい時、話を聞いている時の方が楽しくなっていることでした。

2人コンビだったのですが、実質自分がしゃべり担当で、
ライブのMCはもちろん、足を止めて聞いてくれた方や
ちょっと迷惑なお客さんへの対応までやっていました。

大変なことはもちろんありましたが、
それ以上に自分の知らない知識や経験を持っている
他の人の話を聞くのが楽しかったです。

「今日はどんな人と出会えるんだろう」
「今日は常連さんとどんな話ができるだろう」

それが歌う大きなモチベーションとなっていたことは間違いありません。

見知らぬ人たちが気軽に話す場を求めて

こうして3年ほど新潟駅前で金曜夜に歌うことを続け、
相方の大学院卒業&地元Uターンを区切りに、駅前での活動をやめました。

音楽はアカペラという別の形で続けられたのはいいものの、
多様な人たちがフラッと集まって話すという
あの自由な場は失われたままでした。

そして、その自由な場を求める気持ちは
その後も消えることなく自分の中に残り続けていました。

それから数年が経ち、結婚して生活環境が一変したタイミングで、
これからの将来のことを考えたのですが、
仕事を中心として「このままで大丈夫なのか」
という不安が一気に押し寄せてきました。

何かしないといけない、でも何から始めていいのかわからない。

その時ふと頭に浮かんだのが朝活。

自分が普段接することのない人たちの話を聞くことで、
解決するための打開策がわかるのではないか。

そう思って朝活を始めることにしました。

 参考:新潟×朝活とは

朝活の形式はフリートーク。
特にテーマを設けず、集まった人たちで自由に話をする形式です。

この方が自分が予想もしていなかった
面白い話が聞けると思ったからです。

そしてもう1つの理由は、かつての新潟駅前で経験したような
見知らぬ人たちが自由に気軽話す場になってほしいと思ったから。

あの時味わった楽しさや高揚感をまた味わいたい、
そう考えて思い切って初めてみました。

歌、出会い、始まりのフライデー

歌と出会い、多様な人と出会い、
たくさんの「始まり」が生まれたあの頃の金曜日。

純粋な音楽への興味と好奇心だけで始めた路上ライブは、
今振り返ると人生の大きな財産となり、
人生を大きく変えた経験だったと言えます。

そして多分これからも、かつての週末の新潟駅前のように、
たくさんの人が気軽に集まってきて、気軽に話せる場を求めて、
行動を続けていくんだと思います。

新潟駅前は近隣にマンションが建てられたことで、
新潟駅を管轄するJRに、騒音に関する苦情が多く寄せられ、
路上で歌うことが禁止されるようになりました。

週末になるといつも3,4組歌っていたあの光景はもうどこにもなく、
ただ、人が歩いて通り過ぎるだけの殺伐とした空間になっています。

もうあの牧歌的な時代は戻ってこないので、
次の時代に適応した場をどうやって作ればいいのか、
目下の悩みです。

それでも、いずれこの悩みを解決し、
あの高揚感を再び味わうことを楽しみにして活動したいと思います。

以上、プラミアムフライデーの夜の回想でした。

みなさん、良い週末をお過ごしください。

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2017-02-24 | Posted in 200. 生き方Comments Closed