800. 個人思考
Facebookから離れる人たち それぞれの理由
こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。
昨日友人と話すためにスターバックスに行ったら、
偶然別の友人に会いました。
彼女とは半年ぶりくらいに会ったのですが、
お互いそれぞれ友人と一緒だったので、軽く会話を交わしただけでした。
そのわずかな時間の話の中で、彼女の大きな変化を知ることができました。
それはFacebookをやめたことです。
彼女がFacebookをやめたのは、直接の原因になる出来事があったわけではなく、
多すぎる人間関係を整理したかったからです。
イベントに参加する度に、たった今会ったばかりの人から友達申請され、
断れずに承認することが重なり、いつしか友人には知らない人が並ぶようになったそうです。
そして、自由に発言することがしづらくなって、
次第にFacebookから遠ざかり、ついにやめることを決断したとのことでした。
「今度からは電話かメールで連絡ちょうだい」
と言った彼女は、とても潔く見えました。
自分の周りには、彼女と同じようにFacebookから離れた人が何人かいます。
先日笑顔写真家 かとうゆういちさんの写真展を訪れた時、
偶然入り口で会った人もその1人です。
彼女とは1回だけ会ったことがあって、
Facebookでも度々顔を見かけていました。
(自分とは友達になっていませんでしたが)
ただ、ゆっくり話したことがなかったので、
これも何かの縁と思って話を聞いてみました。
すると、ちょうど前日Facebookをやめたばかりという話が飛び出ました。
この彼女がやめた理由は、「ひとつひとつに集中したい」という理由。
毎日のように友人たちからイベント紹介が届き、
タイムラインには友達の様子が次々と流れているのを見て、
「大事なことも流れていってる」と思ったそうです。
「本当に大事なことなら、何かのきっかけで巡り合えるはず」、
そう思ってFacebookをやめたと話してくれました。
Facebookはとても便利で、現実世界の人間関係を
そのままネット上でも再現してくれています。
ただ、裏を返せば、現実世界のわずらわしい人間関係も再現していることになります。
そうした状況にいた場合、つながることが苦痛になってしまう。
Facebookを離れる人が出てきているのは、
そんな背景があるように思います。
自分の友人とFacebookの話になった時、
「今の30歳前後の世代は、つながらない孤独を知る最後の世代かも」
という言葉を友人から聞きました。
1人になる時間は、自ら意識しないと作れない時代になったということです。
Facebookをやめた彼女たちのように、
自分で考えて、不要だと思ったら潔くやめるくらいの決断が
今求められているのでは、と思いました。
それでは、明日も良い日になりますように。
